人生は産まれた時から決まっている?
自殺も産まれた時から決まっている?
本を読んでいたらこの下記ような前向きになるような、言葉と出会いました。
私たちの人生は産まれた時から死ぬ時まで、全て決まっているようです。
私たちの人生は産まれた時から死ぬ時まで、全て決まっているようです。~中略~私たちは自分の意思で選択をして生きているように思いがちですが、確立された未来がすでに存在しているという事です。つまり、努力によって人生が成り立つのではないという事です。~中略~では「何もしなくてもいいのですか?」と言う人がいますが、それは違います。やるべきことはただ一つ、「念を入れて生きる」こと、今目の前にいる人を大事にし、目の前の事を心を込めて行って行く事だけです。
引用・無敵の生き方 著・小林正観
この考え方、利己的遺伝子、利他的遺伝子と共通している部分があるように感じてならないのです。
これは仏教的な教えのようで、人生の道を選択するのは自分なのですが、用意されている数多くの道はあらかじめ決まっているのだそうです。
たくさんの道を選んでいるのは自分なのだそうです。
用意された数多くの道の中に
自殺
も当然含まれることになりますよね。
納得!!
自殺という選択は誰の中にだってある物なのだ!
誰だって条件さえそろえば自殺を選択することは十分あり得ることは頭の中に入れておく必要があります。
自殺の情報はきっと誰しも遺伝情報の中にインプットされている事と思います。
端的に自殺は良くないという拒否反応だけでは、選択を誤る可能性があります。
自殺はいけないと信仰上タブーとされている場合や、自分軸をしっかり持っている方などはそれらをそれぞれ信じていればよいと思います。
しかし、
選択権はあくまでも遺伝子達が持っているようです。
生きる事も
死ぬ事も
はじめから決まっているし、決めるのは遺伝子。
利己的遺伝子と利他的遺伝子を闘わせて、どちらが勝つのかで生きるか自殺するかが決まってくるといったところでしょうか。
利己的遺伝子の考え方を信じてもいいし、信じなくてもいいのですけど、どちらをとっても楽しく人生を送る事はもっと大事な事だと感じています。
どんなに辛い事があっても、そう感じるのは遺伝子のせいにすればいいし、
悪い考えは全て遺伝子のせい。
苦難を乗り越えられたら自分の成果だとすればいいし、
うまく行った事は自分の努力のおかげなのだ。
最終的には自分に都合の良いように解釈をすればいいだけの話で、自分勝手に生きてゆけばいい。
自殺を考える事もあるだろう、そりゃあそうさ利他的遺伝子が宿っているから当然さっ!
自分が一人死ねば、どこかの地球上のヒトは一人分楽に生きていけるだろう。
死にたい気持ちというものはいったい何なのだろう?
腹が減ってバッタでもいいから食べたいという生への執着心って何なのだろう?
遺伝子達の要求はいったい何なのだろう?
私にどうして欲しいのか?
このブログでは、生きる事も死ぬ事も自分で決めましょうと、ずっと訴えてきましたが、
せっかく遺伝子の学びがあったので、
生きる事も死ぬ事も、最終的には遺伝子達が握っています。
仏教的にも人生の道は産まれた時から決まっているようです。
死ぬ事が正解?生きる事が正解?
正解は無いのだと思います。
結果のみが現存するのでしょう。
だったら生きるも死ぬも決めないで、人生をふらふら漂っていてもいいような気もします。
死んだっていいし、生き延びてもいいだろさッ!
だってどちらを選んでも、遺伝子の思うツボなのですから!
もしかしたら、ぐずぐず、だらだら流れに身を任せて生きるのが正解なのかもしれませんね。
それも遺伝子の思うツボ…
結局、何も考えない方が良いのかも…
それも遺伝子の…
やっぱり遺伝子達には敵わないのか…
それはそうでしょう、たかが数十年生きた個体(ヒト)が、38億年を生き抜いた遺伝子に適うはずがない事は、至極あたりまえな話なのです。
生きたけりゃ生きればいいし
死にたきゃ死ねばいい
だけれどそれは遺伝子の指令によるものだと思うと、ちょっとくやしいよね。
こんな遺伝子の知識があれば、おもしろいなと感じるならば、
もうちょっと生きてみるかと、
感じてもらえれば幸いです。
”死テラシーブログ”
コメント