植物人間に価値はあるか? アドラー心理学と考える!

前向き思考

生きていても死んでいても価値は同じだ!

いきなり結論です。

病や痴呆、寝たきりの人間には、

価値は無いのだ!

と思えばその時点で価値は無くなる!

その先を行くと、

死んだ人間にも価値はあるし、

死ぬこと自体にも価値がある!

アドラー心理学的には、どのような人間にも生きていること自体に【価値はある】という解釈をしています。

とてもわかりやすくて素晴らしい考えです。

しかし、このブログはひねくれていますので、もう少し斜めから深部へ攻め込んでみたいと思います。

死は恐れるモノではなく、認める、付き合う、受け止める、楽しむ…

このブログでは、死というものを肯定的に捉えていますので、死ぬ事自体にも価値があると考えています。

アドラー心理学の「嫌われる勇気」では、何が何でも生きてさえいれば、周囲の人間に勇気を与えられるという事になります。

その考え方はおおいに結構な事だと思いますし、これに賛同する方も多い事でしょう。

異論を唱えるつもりは毛頭ありません。

そこで納得ができた方はそこでおしまいになりますが、少し違和感が残る方はこの先へまいりましょう。

”死テラシーブログ”では死を専門的に扱いますので、死について掘り下げてまいります。

”死テラシーブログ的視点から考えてゆくと、この先があります。

例え死んだとしてもそこにも価値は十分にあります。

生きていた場合と同程度に価値があります。

どうしてそうなるのか、考えて行きましょう。

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