人生楽しかったとハッキリわかるなら今死ぬべきだ!
親を看取る子供側の視点からすると、この人の人生は楽しかったのか?
と思う事はあるでしょう。
私の場合はついさっき親父が死んだのですが、自分も親父もと~~~~~っても楽しい人生だったので極端に言ってしまうと死んだ親父が羨ましいとさえ感じました。
親父も自分も強烈な趣味があるので、追われる人生では無くて楽しむ人生であったと確信できるからです。
しかし、そうでない人もいます。
何かをやり残したような人生を歩んでいるとこうはならないのです。
本人の事は本人しかわからないので、答えは無いのですが、周囲の人間が故人は人生楽しかったはずだと認識されるような人生を歩んでいれば、故人はかわいそうな人とは思われない確率は上がります。
ご飯を食べられなくなった時点で、もう十分人生を楽しんだのだから延命措置はしなくてもいいよねってなるケースも十分に考えられますよね。
そもそも、辛くとも楽しい人生を歩んでいる親なら、その子供達の人生も楽しい人生である確率も高いような感じもします。
親子間で仲が悪かったり、連絡も取らずにどこで何をやっているかわからず、お互い音信不通な家族だったら最期の最後で後ろめたい気持ちが芽生えて、延命措置を選択することもあるかもしれません。
もっと話がしたかった、謝りたい事があるのに…そんなことは後の祭りです。
極端な言い方をすれば、自業自得です。
延命措置を積極的に選択するという家族もいます。
とにかく死んでほしくない、存在している事が心の支えになっているといったような家族です。
その他に、親の年金を目当てにする家族や親名義の資産がらみで今死んでは困るといったようなこともあるでしょう。
これは他人が干渉する事ではないことだと思います。
目的がはっきりしているので葛藤はありません。
命より金が大事、本人の尊厳よりも生きている存在が大事なので思い悩むことはありません。
死のギリギリまで強制的に心配活動をさせる事に全力を注ぎます。
どのような事でもいえる事なのですが、人の死に際で葛藤が芽生える事は今までの自分の生き方に自信が無いからの現れでもあるのではないでしょか?
それは言い過ぎか…
でも、一生懸命になににでも誰にでも感謝して生きていれば、どのような事にも後悔の気持ちは少なくなると思います。