まとめ・産まれる時だって辛かったはずだ!
今回はデゥーラについて考えてみました。
デゥーラは本来、出産の時に大変な思いをする母子共に付き添いサポートするものですが、出産も死滅も同じようなものだとするなら死のデゥーラも当然必要です。
産まれてくるときの記憶は無いという人は多いと思いますが、記憶がないだけでとても苦しかった体験だったと思います。
母親の体内から外へ出るとき、普通分娩ならお母さんの出口に体を強く締め付けられる、産まれて初めての呼吸をするときなどは息苦しくて、それはとても辛いはずです。
誕生の場面では、母子共に今すぐ死んでしまいたくなるようなほど、辛く苦しい体験をしていると思います。
お母さんは意識があるのでとても大変なのでしょう、出産の苦痛は男には耐えられないそうです。
女性は強いのです。
生命の誕生はとても神秘的なのですが、その分とても大変な作業が母子共に待ち受けています。
老年の死も同じことです。
病に体を締め付けられる、病で呼吸がとてもつらい…
そうですね、出産時と同じです。
現代では緩和医療などもありますので、痛みを取り除いて身体的に楽に死んでゆく事もできますが、心の不安は薬では解消できません。
心の不安を取り除くには家族の存在もありますが、よほど死に対する意思の共有ができている家族でないと本人の不安は解消できません。
家族は不安な顔をしてオロオロするばかりで、不安の連鎖は広がり最期を迎える本人が逆に家族を励ますなんてことは想像できます。
そのような時に死のデゥーラがいてくれたらとても心強いですね。
きっと死のデゥーラは淡々と付き添い、淡々と最期を見届けてくれるのでしょう。
死のデゥーラとは、
死神さまのお手伝いをする人、違う世界への扉を開いてくれる人、
死へと向かう人にとって一番優しい人、なのではないかと思います。
だって、身体がそっちへ側へ行きたいと思っている方向へ案内してくれるのだから…
家族や医療は逆の立場ですから、生きる方へ引き戻そうとします…
死のデゥーラは誰にでもなれます。
まずは、近しい親族の死のデゥーラになってみるのもいいのではないでしょうか。
”死テラシーブログ”
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