なんで病気が希望なの?
病人は自身もそうですが、死が近くにあるのは何となく実感はあるでしょう、しかし先ほども述べた自然災害や紛争起が起った場合、真っ先に死ぬ人カテゴリーにしっかり入ってますよね、だって薬や医療機械が無いと死んじゃうんだもん。
だから、普段から死をしっかり受け入れた場合、あと何年生きられるのだろうか?と思いながら読む本や散歩する公園、家族との会話なんかがとても重みのあるモノに感じることができると思います。
また、病気がゴールテープをもって”死”を待っていてくれているとしたら、ゴールまであとどのくらいあるのか、ゴールまで何をすべきかを考えることができますよね。
このように病気を自分に都合よく解釈した場合、病気とは
充実した日々を感じることができる
新たな生きる目標ができる
ゴールまでのおおよその距離を教えてくれている
死に方や死に場所を考えさせてくれている
等など…
病気は希望を与えてくれるものなんです(;’∀’)ちょっと無理あるかな~?でもやり通します
病気にはこんなにいいこともありますと無理やりにでも解釈してもいいのではないでしょうか?
まとめ
病気に良いイメージを持っている人はほとんどいないでしょう、そこに目をつけて逆転の発想をしてみたらいいのではないかと思いつきました。
病気にはこんな良いこともあるということを知ってもらいたかったということもあるし、自身が病気持ちということで
薬が無いと死ぬ
この状態で今後どのように生きていこうかと考えた結果、病気のいいところだけを取り出して拡大解釈してやりました。
例えば、学校のクラスに絶対的に嫌いな奴がいますよね、そいつに少しでも「おっ」という意外なところがあったら、意外性からそいつにすこしは興味を持つことは十分想像できますよね。
見方を変えて少し冷静になって死を恐ろしいものと考えないようにするには、もっと恐ろしいことを想像したらいいのではないか?と思います。
自身が考えている最も恐ろしい死は
ボケて家族も思い出も何もかも忘れて最期を迎えること
このような最期の方がよっぽど怖くないですか?
持病が悪化して若くして死が近づいたとしても、家族や親せきお世話になった方々にしっかりお礼を言いいながら、ちょっとした冗談を口にして、これで最期かなと思いながら人生を振り返り最期を迎えるなんてとても理想的な死に方だと思うのは私だけでしょうか?
注・痴呆症で、和やかに穏やかに、家族に見守られながら最期を迎える方もたくさんいるということもご承知おきください。
だとしたら今患っている病気とは仲良くできるのではないでしょうか?
病気って悪い事ばかりではないって思っていただけたら嬉しいです。
死を連れて、病気を連れて生活していれば
普段、何気ない物事が
輝いて見えます!
お疲れさまでした、今回はここまでです。
最期まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
死テラシーを高めて、理想の死に方を共に探しましょう!
”死テラシーブログ”
コメント
いつもお世話になっております。このブログも動画にしましたので、是非観てくださいね。
https://youtu.be/huxCEr8RCq0
ありがとうございます。ブログの紹介などもしていただき嬉しいです。レフトさんの動画早くも進化していますね、凄いです!
一つ気になった点は
類➡これは たぐい って発音します。 るい ではないのです。 種類➡しゅるい 人類➡じんるい 00の類となっていたら、まるまるのたぐいって発音します。
ただのチェックミスだったのかもしれません、参考までに記してみました。 絶対的なミスでは無いので修正はしなくてもいいですよ。