自殺の森は美しい 青木ヶ原樹海を歩く

前向き思考

霊感のある人もない人もぜひ

 

私には心霊体験や一般的に言う霊感というものはありません。また、見える聞こえるといったような心霊現象というものもあまり信じていません。

不確かなものが見える聞こえるという証言を否定したりはしません、その方の証言や意見を尊重します。

そんな自分なのですが、もし心霊体験や霊感が強い方は是非樹海に来てもらいたいものです。また、希死念慮、生きずらい、というような方も訪れてもらいたいです。

何か、感じるものがきっとあるはずです。

希死念慮のある方などは、亡き先輩に良いアドバイスを頂けるかもしれません。生きるべきか死ぬべきかここでゆっくり考えてみるのも良いと思います。

ゆっくり流れる時間、野生動物の息づかいなど部屋の中では感じえる事の出来ない体験により、新たな感覚が目覚めて、新しい発見があるかもしれません。

死生観を研ぎ澄ますには青木ヶ原樹海を訪れる事をお勧めします。

大自然の森の中で火山という大地の躍動感、死が近くにあるという感覚、死を意識していろいろ考えてみる事ができる貴重な場所だと思います。

 

自宅へ帰ってきて一番思ったことは、

生きている実感を物理的にも感じる

ということでした。

普段あまり気にせずに生きていますが

今の自分は、はっきり生きていると感じます。

どういった訳か、樹海の森に優しさを感じました。亡くなった方々の養分を糧に育った樹々達はその方々の分身でもあるという勝手な想像をしてしまうからなのだと思います。

怨みや妬み後悔のような負の印象は私には感じる事はできなかったのです。

全て終わったことといったような、

諦めのような、

開き直りのような、

安堵感!

といった印象です。

定期的に通えばその都度思うことはまちまちで、精神的にマイナスに働くことは無いように感じます。

人がたくさん自殺で死んだ森という見方で樹海に入ると自分の死生観や人生観が白紙にされるように感じました。答えは無いのだという現実を改めて突きつけられ、事実のみがそこにある。

キレイごとや理想や未来もそこにはありません。

白黒はっきりしているところです。

全て終わったことという事実のみが存在する場所

生きるのがつらいから

自分で死を選んだ事実

遊歩道とその外

生きている世界と

死んでいる世界

の境目がはっきりしているように錯覚します。

一歩遊歩道の外へ踏み出したらそこは生と死の堺

今生きているということが実感として物理的に感じます。

 

このブログでは、生きる事も自分で死を選ぶことも本人が決める事で、その意思を尊重するといった考えです、良い悪いといったことは言及しません。

青木ヶ原樹海、自殺の名所で生や死を考える事は、次のなにかに繋がるのではないでしょうか。

たとえそれが生なのか死なのかは別として…

 

お疲れさまでした

こんなところまで読んでくださってありがとうございました。

より良く生きてより良く死にましょう

“死テラシーブログ”

 

注・風穴や氷穴は富士山の周辺にはいくつかあります。観光名所として駐車場が整備され公衆トイレがあり、お土産屋さんなどがあったりもします。

地元の方から見れば不審者はすぐわかるといいます。アクセスはバスなのか、駐車場の車の停める位置、ナンバー、グループの人数、グループの男女年齢の構成、服装、会話の雰囲気などしっかり確認されています。

不審なところがあると通報するようになっているらしく、パトロールの人がやってきて地元の皆様に迷惑をかけてしまいます。

あくまでもハイキングに訪れたという形をとっていないとトラブルに見舞われてしまうので気を付けてください。

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