どうもこんにちは、
無駄な時間をひたすら消費している
”死テラシーブログ”
でございます。
今回は、デススナックという、死についてフランクに語り合おうというイベントに参加してふと思ったことを綴ってまいります。
デススナックでは死をタブー視しないで、自分の死に対する気持ちを述べたり参加者の意見を聞いたりするもので、とても勉強になります。
そんな、デススナックでのトークテーマの一つで、
「何歳まで生きたいですか?」
というものがありました。
何歳まで生きたいか?
一般的な人の感覚では、80~90歳くらいになって、何かの病気になって穏やかに死んでゆく~そのように想像しているのだと思います。
また、両親や親戚、友達の死から影響を受けて、自分自身の死生観を確立できたような経験があるような方は自分の死に方や死に時をはっきりと想像しているといったような例もありました。
家族構成や年齢、ローン残債や時期的な事でOO歳までといったような数字的な区切りを持っているいる方もいます。私自身も子供が成人するまでといったように一つの区切りを持っています。
しかし、そのように思いどうりに事は進まないのが世の常であります。
明日死ぬかもしれないし、
明日死なれるかもしれないのです。
もっと突っ込んでしまうと、意識不明の重体で死ねない状況で生きる地獄などを考えた場合、
死ねたらラッキー!
なんて考え方もできるのではないでしょうか?
死ねたらラッキーだとぅ! バカにしてんのかっ!
と目くじらを立てて怒る方もいらっしゃるでしょう、確かにそのように感じる方の気持ちもわかります。
確かにどのような状況でも命がある限り、周囲の人間を勇気づける事がある事もわかっています。
でも、人はいつか必ず死にます。
死という最強の切り札を誰しもが持っているのです。
(今回の記事では自殺という選択といった解釈はしません)
また、死という最強の切り札は、自分の管理下ではありません。
自分の意思での発動はできません(自殺を除く)
死がいつやってくるのかがわからないし、死んだ後はどうなるのかわからないから、ほとんどの人は死を恐がります。
だったら死という最強の切り札がいつ発動されるのか楽しみになるような、ゆとりのあるマインドがあれば、死が恐くなくなり生きる事が楽になるのでないかという提案です。
結論
死を楽しみにして生きる事が出来るのならば
悩みはすべて無くなる!
だって、死ぬ事が楽しみなのですから!
本当にそのような思考に可能性はあるのかどうか見てみましょう。