シュークリームやジンで逝く オランダの安楽死には愛がある

尊厳死 安楽死

みなさんこんにちは、目的地も失い、目標も失い、ひたすらさまよってしまうブログ

”死テラシーブログ”でございます。

しょうもなく長~い独り言です。

今回はオランダの安楽死の本を読んで素人ながらに思ったことを綴っていきます。

参考文献 「安楽死のできる国」 著・三井美奈
2003年の本なので現在2022年とは法律などが違っている場合もありますので大まかな記事になりますのでご了承ください。
自分はバカなので立派で難しい事を述べる事が不可能なので、印象に残った部分の紹介と今後自分はどのように考えて、生きてそして死んでいけば良いのかという浅い考察をしてみたいと思います。
安楽死に対して国民が積極的!!・ポストマ事件
1971年に「ポストマ事件」という医師による委託殺人(本人から殺して欲しいと頼まれ実行する事)の事件がおこる。
この事件は、ポストマさんという医師が自身の母親にモルヒネを注射して安楽死させたというもので、起訴されました。
この出来事にオランダ国民が無罪を訴えて署名や行動を起こしたという事です。
60年代オランダもベトナム反戦、非核運動に象徴される若者の反乱が先進国を襲ていた時代、アムステルダムは「個人の自由」を求める声は政界にも広がり、姦通の廃止や避妊ピルの解禁、中絶容認が次々と実現した。
引用・安楽死のできる国
自殺幇助や委託殺人のような事件が起こるたびに、裁判が開かれ国民の関心が高くなり、政治にも影響を及ぼすことになります。
今までは安楽死の事は法廷、裁判の中で行われていましたが、安楽死の識者やジャーナリストが政界に進出するようになり、国会で安楽死を議論するようになります。
ザックリ言うとオランダではこのような流れで、法律として安楽死が認められていきました。
安楽死を容認するような考えは、時代や地域、民族性によるところもありますが、国民全体の関心が高くないとオランダのようにはいかないでしょう。
60年代の日本でも若者の反乱、学生運動があったり、○○闘争があったりしたようですが、国民全体の関心事にはつながらずに政治を動かす原動力にはなりませんでした。
もちろん、中身が重要なので賛同できる内容でないと民衆の熱量は高まりません。
しかし日本人はどこか、他人事のように騒動を眺めるような気質があるように感じます。
これは日本人特有の民族的なものなのでしょうが、とにかくオランダでは、安楽死や尊厳死
”死”
についての関心が高かったことは事実としてあります。
私個人としては死に関心を持つことは当たり前の事だと思うのですが、日本では一般的ではないようです。
だって、誰だっていつかは死ぬのだから自分の最期について興味があり関心を示すことは、
至極当然!!
の事だと思いますが、違うでしょうか?
日本には日本の文化がありますので、世界的に見ても、良いところも今一歩なところも含めて
日本
なので、ここでは民族文化的な事は追及しませんが、最期の時を考える事はとても大切な事だと思います。
しかし、日本では死を嫌い避けようとする気質は根強いと感じます。
次の項では、オランダでは安楽死が身近にあるという事を紹介します。

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