死にゆく哲学者

哲学

哲学死

哲学は人間が持っている創造する力なのだと思います。人間にクリエイティブな思考が起らなかったら、ネットやパソコン…ブログなんてものは無かったでしょう、スティーブジョブスもただのオジサンだったはずです。

考えることをやめたら、楽になるとは思いますよね。他人の目も気にしない、頭ボサボサでも平気、貯金が無くなっても笑っちゃう…なんて羨ましいかもしれませんが、それでは動物と同じになってしまいますよね。

哲学的に自殺を決行する人間は考えることが複雑で多すぎるのかな?哲学が無ければこの方々は死ななかったのでしょうか?

人間に哲学が無かったら進歩も無く、動物同様に生活し、病で死に、怪我の悪化で死に、自然災害で死に、とにかく死がそこらへんに転がっているので、わざわざ死を選ぶことや死を考えるなんてことはあまりしないでしょう。

人間も科学を放棄して、動物だったらいいのになっていつも思うのですが、せっかく人間に産まれてきたのだから、人間特有の”考える”ことをもっとしてみようとは思いませんか?

今が生きづらいと感じる人たちはきっと考え過ぎるタイプが多いと思います、生きづらいのは世の中が悪いのではなく

繊細な能力がトッピングされているだけであって

悪い事ではないものと考えます

繊細な能力を存分に発揮するにはどうしたらいいかを考えに考え抜いてみたらどうでしょうか?繊細さんは哲学に一番近い場所にいるような気がしてならないのは私だけでしょうか。

ぜひとも、死なない程度に自分哲学してみたらいいんじゃないでしょうか?たとえ哲学からの自死ということになったとしても、後悔はないと思います。

自死をした哲学者たちが残したもの、それは命の大切さというものではなくて

もっと自分を好きになりなさい!!

という積極的な自己肯定感の強いメッセージなのだと私は思います

哲学ちょっと興味が出てきました、今後もつづっていきたいと思います(飽きなければ…)

今回は以上です

お疲れさまでした、こんなところまで読んでくださってありがとうございました。

いつも勇気をいただいております。

”死テラシーを高めよう”

あなた様に良い死が訪れますように願っております

参考文献・大原健士郎 生きることと死ぬこと

 

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