死にゆく哲学者

哲学

皆さんこんにちは、ブログ界の”隅っコ暮らし”

死テラシーブログへようこそ あなた様の奇跡的な出会いに感謝いたします。

今回は、本を読んでいて偶然出会った哲学者の自殺について興味が湧いたのでちょこっと調べてみました。

哲学者ってどんなイメージ?多分イメージすら湧かないのではないでしょうか?

自身もそうです。

何をした人なのかがわからないからだと思います。

自身もそうです。

自身は哲学のことはなーんにもわからかったです、本を読んでみても、さーっぱりわからなかったです。言いたいことは、なーんとなく伝わってくる感じはありますが、心に刺さるって感触は今のところ、あーんまり無かったです。

難しすぎて逆に興味が湧いてくる、ゆっくりでもいいから哲学に触れていきたいと思っています。

それでも、頭の悪い自分がなんとかかんとか理解しようと頑張ってみました。

そもそも哲学ってナニ?

哲学(てつがく)

 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。

各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての哲学をもつ」「人生哲学」

引用・デジタル大辞泉(小学館)

俺はバカだから一つ一つの単語を調べないと理解できないし、単語を調べても理解できないので、バカだから結局どーゆーこと?ってなことになってしまうのです。だったら自分なりに哲学を哲学的に考えてみました(;’∀’)

考えることを考える

考えないことを考える

考えなくなることを考える

答えは無いということが答えの一つである

答えは終着点ではなく、出発点である

形が無いのではなく、形が無いという形がある

無色透明なのではなく、無色透明という色がある

??…

とかそんな風にいろいろ考える、屁理屈と呼ばれようがひたすら考えまくることが哲学なんじゃないでしょうか。違うのかな?

自由度か高いのも特徴なのだと思うので、ハマってみたら楽しいとも思う。しかし、考え過ぎると出口や本質を見失い、喪失感や虚無感を強く感じることもありそうで怖いですね。

こんなことば~っかり考えてたら、そりゃぁ死にたくなることもあるよな~ってことで、自殺をした哲学者にスポットを当てて死を考えてみましょう。

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