秘境にひっそり佇む ”死テラシーブログ”へようこそ。
ようこそおいでくまして、ありがとうございます。
奇跡的な出会いに感謝いたします。
今回は、葬儀の際に自身の遺体を爆発させた(花火?)十返舎一九の死への考え方に学んでみたいと思います。
十返舎一九ってどんな人
私自身あまり詳しく知りませんでした。
ザックリ簡単に言うと、
パロディーやコメディー要素の強い
日本初のプロ作家
ってことになります。
本名・重田貞一 しげた さだかず
江戸の中期、駿河駿府(今の静岡市)に下級の武家に産まれます。
大阪に出て、浄瑠璃(演劇)などの作家になり、その後江戸に出る。
出版業者の手伝いをしているうちに、自立し作家になったそうです。
絵や文章を書くことは得意だったようで、出版業者の手伝いや大阪時代の基礎が熟成してきたのか、どでかい仕事をすることになります。
代表作に「東海道中膝栗毛」という歴史的な作品を世に出し、それが大ベストセラーとなり、人気作家になりました。
江戸の中期は、庶民にもゆとりができて全国を旅して巡る旅行が流行し、一九の東海道中膝栗毛もガイドブック本としても一役買っていたということです。
当時、作家業はそれ一つの生業では食べていくことができずに、副業をしていましたが、一九は作家業だけですべての収入を得る日本初のプロ作家になります。
それだけ、東海道中膝栗毛がバカ売れしたのでしょうと想像ができます。
ちなみに、(膝栗毛)って意味知ってます? 私は知らなかったです。
膝栗毛は
”徒歩での旅”
という意味だそうです、栗毛は(馬や籠)を意味して、膝は(自分の足)を意味しているので、馬や籠の代わりに自分の足で旅をするということですね。
東海道中膝栗毛を現代語に直訳すると
東海道路のぶらり旅
なんてところでしょうか。
67歳で生涯を閉じたそうなのですが、
その最期というか葬儀がとんでもないものだったんです。
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