こんにちは、秘境ブログ ”死テラシーブログ”へようこそ
あなたとの出会いに感謝いたします。
今回は自殺者の尊厳について考えてみました。
自殺といったらどのようなイメージでしょうか?
かわいそう、悲しい、怖い、聞きたくない、避けたい、暗い、辛い…
といったようなイメージを持たれていることと思います。
自死や自殺の本を読んで6か月ほど経ちましたが、自身の今の感想では。
自殺は
哀れみ悲しむだけのものではない
という、途中経過になっております。
今後、学びを進めていくうちに考え方も変わることもあろうかと思いますが、そこは柔軟に考えております。
自殺が絶対にいけない事、何が何でも生きていかないといけません。自殺否定を唱えると、まじめな方え方をする人はがんばってしまい、パンクしてしまいます。
自殺を肯定的に捉え、生き方を前向きに考えるには、冷静で柔軟な思考力が必要ですね。
普段から死を意識する、他人事と思わずに自分も自殺するようなことがある事を常に意識する。自殺したくなる状況は今後誰にでも訪れる可能性があることを意識して生活する。
今、生きているのはたまたまです、運よく生きているだけでちょこっとの狂いで自殺を考える状況は誰にでもどこにでもあります。
お金持ちとか、無職とか、芸能人だとかは一切関係ありません。
私生活において死への免疫が少ないと感じているので、死をもっと身近に感じて自殺や安楽死、尊厳死、または精神病患者についての一般人の関心を高めていけたらなと発信を続けたいと思います。
差別や偏見
差別と呼べるものかどうかはわかりませんが、自殺念慮のある人への偏見はあると思います。障害者やトランスジェンダーの方々への差別や偏見と同じように、かわいそうとか、みじめとかというよりも、どのように接していいのかわからないから、あまり関わらないようにしているといったようなことは多々あるのではないでしょうか。
自殺念慮のある人は様々な問題を抱えていることは確かですが、生きたい願いは尊重されて、死にたい願いは軽視される事には疑問を感じますね。
きっと宗教的な事や、人口減少の阻止などの政治的な思惑も一部分はあるのだと思います、ここではそこに触れませんが、とにかく死にたい思いを持つ人への偏見や差別はあるということで間違いない事でしょう。
自殺をした人間に悲しみ悔しさなどマイナスイメージだけしか抱かないのはどうしてなのでしょうか?
自殺は暗くて怖くて汚らわしいなんて思っていることと思います。できれば自分と遠いところにあってほしいという思考から来るのではないでしょうか?
自殺は敬意をもってしっかり生きた立派な死でしたと送ることができないのでしょうか?
遺族のケア
病気や老衰、交通事故死等は致し方がない事と、受け入れられることも多い事と思いますが、自殺に関しては受け入れられない、
どうして? 何があった?
などとその時の本人の感情を探索しようとしますね。しかし、他人が知る由もないんですよね、知ったところでどうにもならずに、あのときああしておけばよかった、声をかけておけばよかったなんて周囲の人は言いますが、亡くなった後ではどうにもなりませんね。
ましてや、無力な自分を責め立てて落ち込んでしまうような思考に陥ってしまう場合もあります。
だとしたら、立派でしたよと送ってあげた方がいいのではないでしょうか?嘆き悲しむことは当然だと思います、しかしそれだけではなく、堂々と人生を全うした、素晴らしい人生だったぞと言ってあげたとしたら周囲の人も自分の人生を見つめなおして、強くなれる事もあるのではないでしょうか。
また、周囲の人も死への考え方がしっかりしていないとこのような柔軟な考えはできないでしょう。
グリーフワークという喪失感から抜け出すカウンセリングがあります。時間をかけて取り組むことによって喪失感から抜け出して、個人を亡くした以前よりも強い人間になるようなケアもあります。
このような知識を持っていれば、故人の生きざまをしっかり受け入れて見送ることができることでしょう。
自分が死ぬ事、周囲の人間が死ぬ事を常に意識していれば、いざその時来たら冷静な判断ができ、亡き人へのおもいを受け入れることができますね。
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