カンタンまとめ
めちゃくちゃな文章で長くなっちゃったなぁ~、もうやめよう!
ここまで読んでくれる方はいないと思いますので自分自身へのまとめです。
実父が死んで多くの学びがありました。
それは、
本に載っているような多数派の状況は親父の例には当てはまらなかった、という事。
カンタンに言ってしまえば、看取るってこんなにあっけなくて簡単な事なんだ~っ!
っていう率直な感想につきます。
死というと映画やドラマで見るような人生の集大成、最期の大イベントなんて描写に溢れていますが、実際は
あっけない…
リアルな人の死というものはあっけない…と感じた。
もちろんこれはたまたま結果がそうだったという事です。
苦労されている方々もたくさんいる事も重々承知しております。
しかし、自宅で看取ることの偏見や認知症のメリットなどは、親父の死を目の当たりにして今までの自身の考え方に変化があったのは確かです。
うちの場合では、認知症は死への不安を本人と家族双方向で緩和され、医療介護側からの必要な延命要求などは無かったからです。
食が細くなれば食べさせない事は自宅で看るにはうってつけで、病院にいたのでは栄養や水分を強制的に体内に注入されます。
これは病院側の仕事だからです。
栄養や水分を入れられた体は死にきれずにミイラのようになって生き続けるそうです。
病院を離れ、ゆっくり命が燃え尽きる瞬間を見届ける事ができるのは自宅だったからです。
世間的に言われている事と違うと感じたのはこのことです。
自宅で看とる
容体にもよる所はありますが、今回我が家のほんの一件では幸せな見送りができました。
ほんの一例ですが誰かのお役に立てる事が出来たのなら幸いです。
”死テラシーブログ”