死が残念な理由
なんで死は残念なの?
と子供に聞かれたらどう答えますか?
死んでしまったらお話ができなくなることや、おいしいものが食べられなくなる、楽しい動画も見れないし、行きたいたい場所に行けなくなるようなことを伝えると思います。
小さな子供や少年、青年にはこれからの人生の時間がたくさんあります。その時間を、死によって失われる事は非常に残念な事と思います。(今回のテーマとは矛盾するように聞こえますが後程回収いたします)
しかし、未来は誰にも予想できません。
災害、事故、疫病、事件、自殺…
脅かすつもりは無いのですが
”いつ死ぬかわからない”
これが現状です。
”逢えなくなるなることが残念”
それはそうでしょう。
”今後の人生を送ることができなかった”
これもとても残念なことです。
しかし死を迎えた後にその子の死や短い人生において
残念!
の二文字を自身の記憶に入力して保存し、常に上位で表示したいとはあまり思いません。
残念よりももっと尊く感じるプラスのエネルギーが必ずあるのだと信じることができれば、死は残念という負の重荷は軽くできるはずです。
死が残念に感じる理由は、
死が残念と思う気持ち>生が尊く美しいと思う気持ち
が優位にあるからで死が残念に感じてしょまうのであって、故人の人生や生きた証を美しく尊い気持ちを増幅させる事ができれば、死を残念と感じる質量は少なくなるのだと思います。(簡単ではないけれどやるしかないのです)
