あなたは何回死にました?
何回死んだことがありますか?
死んだことがないから今こうして生きているのだよと言う人がほとんどでしょうが、私は違います。
当然ですが死んではいませんが、条件を変えれば確実に死んでいるのです。
これは誰にでも当てはまります。
誕生した時代や場所、環境によって自分は死んでいたかもしれないという事は誰にでもあります。
例えば
自分が縄文時代に産まれたのならば、縄文時代の平均寿命は15歳と言われています。
これは乳児や幼児の死亡率が高いので平均定命が低くなったという理屈なのですが、15歳以下の死亡をカウントしなかったら、31歳くらいが縄文時代のヒトの寿命だったそうです。
はい、私は一回死にました!
私は2024年現在48歳なので、縄文時代に産まれていたら幼いころに死んでいるか、寿命で死んでいます。
次は、話を現実的に戻します。
自身の話になりますが、肺の病気で入院したことがあったのですが、これが江戸幕末明治時代の初めだったら結核で死んでいます。
また、紛争や災害で薬が手に入らなかったら、死んでいます。
はい、またまた死んでしまいました。
最近は自然災害なども多く発生していますが、たくさんの犠牲者が出た地域に住んでいたらこれまた死んでいます。
何が言いたいかというと、生きている事よりも生きていない事の方が普通な事で、生きている事は奇跡なのです。
時代や地域、環境によってヒトは何回も死に目に遭うのです。
たまたま生き延びているだけなのです。
人は死にたくないと感じて生きているようなのですが、生きていること自体が奇跡的で不安定な事なのだと解釈してみます。
生きている事が当然のように錯覚して、死んでしまう事は運が悪かった少数派と思いがちですが、
逆です。
死=無が正常で、
生=有の方が特別で異常な事だと思って生きる事が大切に感じるのです。
基本軸は自分の生命は”有る”と考えがちになりますが、そもそも生命が今有る事はただの偶然によるものなので、基本軸を今の自分は誕生しえなかった”無”という目線から見た場合、生命は奇跡の輝きを放つのです。
今生きている事は異常な事で、とんでもなくあり得ない事、
異常な事であり得ない事ならば、それはいつか必ず崩れ去る時が必ず訪れるという認識は必要になります。