死は安定したカタチ 原始のスープの話

前向き思考

みなさんこんにちは

存在価値が”無”の

”死テラシーブログ”

でございます。

今回は生命の奇跡×死というものに注目してみたいと思います。

みなさんはきっと今は生きていると思いますが、どうですか?

???

どうですか?って言われても…どうなんでしょう?

生きているけどどうですかって質問に対して、どう返したらいいのかわかりませんよね?

今現在生きているという事は誕生日から換算して数年~数十年の間くらいでしょう。

数年~数十年平凡に生きて来た人は多いのではないでしょうか?

事故や病気をした方々もいるでしょうし、死んでしまった方もいるでしょう。

生きている事は奇跡的なことで素晴らしい事でしょう…なんてありきたりな表現はもう飽きたので、このブログではちょっと変わった目線で生命誕生と奇跡に迫ってみたいと思います。

生きているのはメッチャ奇跡的な事なのですが、生きている事はとても不安定なのです。

生きていると大変だと感じる事がたくさんやってきます。毎日嫌になることもあります。

これを不安定な事とした場合、

生命=有 死=無

有は不安定で無は安定

元々生命は”無”だったのだから、”有”はいずれ消滅してしまう不安定なモノ、

だから生命は死を迎えて無に帰るという考え方の提案です。

注・今回の記事では宗教的な来世という見方は省きます。

注・記事中に”無”という表現が出てきますが生命活動の”無”というもので、アンモニアやアミノ酸、二酸化炭素、太陽エネルギーや放射線も何も無いという解釈ではありません。

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