”死テラシーブログ”へようこそ!
こんなブログによくいらっしゃいました。
自身とブログの簡単な紹介をします。
私はバカで、読解力もなく、文章力もなく、PCも使いこなせない、自慢できるようなモノは持ち合わせていません。
こんな私もいつかは死にます。
近くにいる大好きな人もいつかは死にます。
死を語るのは頭のいい偉い人しかしてはいけないのでしょうか?
そんなことはないよね?
バカだっていつか死ぬんだから、バカでも死を語ってもいいハズだよね?
死生観と言えば聞こえはいいのですが、
自殺、死ぬ、殺す、病気、がん
等というテーマは重たいから話題にしない、考えたくもないと敬遠してしまうと追々困ったことが起ります。
これは持論なのですが、
死は夏休みの宿題みたいなものだと思っています、いつかは必ずやらなくてはいけない。
だからその宿題、いつまでも目を背けていないで、まずは宿題の量や中身だけでもいいから確認したらいいのになぁ~と思っているのです。
それだけではありません、死は自分だけのものではなくて、
大好きな人の死を背負う事にもなる
場合もあります。
友達の死、家族の死も明日、急にやってくる場合もありますね。
だから今のうちに、みなが元気でいるうちに、自分の死生観を養って、
死ぬ準備、死なれる準備
をしっかりやっておけば、いざという時に心の余裕ができます。
心の余裕は衝撃を和らげるクッションになります。
冷静さが無いと、呆然となり思考が停止してしまう、パニックになって当時の事を思い出せないなんてことになってしまう事も考えられます。
そうすると
ちゃんとしたお別れ
悔いのないお別れ
ができなくなってしまいます。
みなさんにはそうなって欲しくないのです。
法律や政治の話はあまりしません
”死テラシーブログ”では医療費や介護費用負担・保険制度や税金、法律や政治などの細かい追及はいたしません。
どうしてかというと個人で行動し法をひっくり返す事は現実的に無理があり、多くの知識と時間、世論の力を必要とします。
時代錯誤の法律や制度を変える事は大切ですが、個人でできる事と言えば草の根活動や、選挙で正しい一票を入れる事くらいです。
草の根活動や個人が声を上げる事の大切さも十分理解していますし、意見が一致すれば協力もします。
”死テラシーブログ”では1日1分1秒の時間も大切に考えていますので、草の根活動では時間がかかりすぎてしまうのです。
時代の流れや世論は常に変化していますので数年前までは関心があったことでも、今は忘れ去られるようなことはたくさんあります。
その時代の空気感によって必要とされる情報は変化しますので情報発信するときは、時代に合わせたり時代の先を見据えたりします。
それは大切な事ですが、
時代に翻弄されいてるうちに死が訪れる事があります。
交通事故や災害死、事件・事故、心臓や脳の不具合による突然死などが考えられます。
だから、”死テラシーブログ”では、
明日から、そして今からすぐにでも実行できる、
個人的な意識改革に重点を置いています。
だって、明日自分が死ぬかもしれないし、今日家族が死ぬかもしれないから…
法律や制度を変えようとすると時間的に手遅れになる可能性があるのです。
だから”死テラシーブログ”では上記のような情報発信は積極的には行いません。
草の根活動をしていらっしゃる方を、非力ながら、陰ながら応援しています。
ところで 「死テラシー」 って何なの?
死とリテラシー(教養)を合わせて ”死テラシー”
死を照らす シをテラス シテラシー ”死テラシー”
自分勝手に造った造語です。
死にスポットライトを当てて、死を身近に感じて生きていけば、普段の生活が輝いて感じる事はあるのではないかと考えました。
”死テラシー”を向上させて、自分の死と大切な人の死をしっかり見つめて、1分1秒に幸せを感じて悔いの無いような人生を送っていただきたい。
死を怖がるのではなく、生きる喜びと死んでゆく喜びを感じていただけるようなブログにしたい。
宗教では死や死後の世界が恐ろしい描写でよく出てきますが、このブログでは基本的に、
死を肯定しますし、
必要以上に死を恐れる事に疑問を投げかけます。
そもそも、死が恐ろしいものだというのは誰が言った事なのでしょうか?
固定概念なのではないでしょうか?
あたりまえですが死が恐ろしいものだと確かめた人は今は生きていません。
だから、生きている人には死や死後の事はわからないのです。
死を恐れないという事は、命知らずな冒険や危険な行為をやりなさいという事ではありません。
死を恐れない事とは、
死を受け止める勇気を持ちましょう。
という事です。
死から逃げないという事でもあります。
死から逃げていては人生損をしてしまう可能性があります。
死が何者かわからないのなら、死について勉強をしたらいいのですよ。
まずは相手を知る所から始めればいいのです。
このブログではそのようなお手伝いをさせていただきたく思っております。
自分自身の勉強にもなります。
”死テラシーブログ”では、
生きる事も、死ぬ事も同じ熱量で語ります。
生きる事も死ぬ事もどちらも素晴らしいのです。
私は専門家でもなんでもないですけど、いつか死にます。
専門家もいつか死にます。
あなたもいつか死にます。
生物は皆いつか死ぬのです。
死には不公平はありません皆同じです、だからこの思いは皆さんと共有できる事と信じています。
間違っていることもたくさんあると思いますので、死ぬその時まで勉強は続きます。
死んだらどうなるのかはわかりませんが、
みなさんが死んだときに、
死とはこういうことだったんだ~!
”死テラシーブログ”が言ってたことと全然違うじゃん!
そのようなゆとりのある死に際が訪れるような文章を綴っていきたいと思います。
また、自分もこのブログも、成長できたらいいなと思います。
より良く生きて、より良く死んでいきましょう。
”死テラシーブログ”
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