まとめ
自殺報道の倫理的な中身はとても難しいのと、ここで何を言っても解決しないので、ひとまず置いておいて。
自分自身で何を感じて何ができるのかを考えた方がいいと思います。
マスメディアも利益をあげていかないといけないもので、遊びやボランティアでやっているのではありません、編集者、記者、カメラマン…皆さん生活がかかっていますし、家族もいます。
だからと言って遺族の感情を無視した過激な報道をして注目を呼び込むことはいけません。そこの線引きとして報道倫理ガイドラインというものが存在する一つの理由だと思います。
今度は報道倫理ガイドラインが弊害となって、真実をぼんやり包み隠して自殺の現実を遠ざけていたのならば、自殺というものが現実離れ、浮世離れした物語のような錯覚を起こして美化されるように受け止められることもあるかと思います。
自殺報道がリアリティーではなくなり、鮮明に心の中に刻み込まれず、あやふやな印象になってしまうこともあるのではないしょうか。
自殺の動機や、方法、場所などを事細かく報道してはいけないとなると、一般人(消費者)は疑問や不安に駆られる事もあるのではないかと思います。
疑念や噂、嘘が蔓延していつまでも尾ひれがついて自殺の一件がネット上でずっと続くことにもなりかねないですね。
直球報道は疑念や嘘を払拭することができるという良い部分も持ち合わせていると思います。
残酷な画はそれだけの力がありますので上手に利用すれば、後追い自殺の抑止力にもなりうることもあるでしょう、極端な言い方ではありますが…
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