自殺でも何でも自信を持って死んでゆけ!仏教と自殺!

おしえ

まとめ・死んだら幸福になると勝手に信じてラクに生きる!

仏教は自殺者を救ってくれるかどうかはハッキリ言ってわかりません。

そもそも死後がどのような世界なのかもハッキリ言ってわかりません。

死後があるのかどうかもわかりません。

な~んだよ!

わからないことだらけじゃないか!

だったら、自分自身で死んだらどうなるのかという事を勝手に考えてそれを信じていればいいだけの事で、とってもシンプルに生きる事ができるのです。

大多数の健康な人は、自殺など怖くてできやしないと思いますが、自殺を決行する人は仏教的に言う涅槃・悟りの境地に達している人達なのだと個人的には思うのです。

信仰的な修行で命を落とす人もいます。

「即身仏(そくしんぶつ)」と言って、僧侶が厳しい修行を経て生きたまま棺に入り、瞑想を続けながら亡くなり、そのままミイラ化することで仏の世界へと至るとされるものです。

じゃあそれは自殺か?

侍の時代では、武士の情けで切腹する人もいます。 自殺か?

戦争の時代では、敵の艦船に飛行機で突っ込んでゆく。 自殺なの?

映画・アルマゲドンで地球を守る為に命を犠牲にした人たちも自殺だったの?

自殺って一言で言ってもそれぞれの背景はそれぞれ違います。

今回は仏教にスポットをあてて自殺にも救いがあるのかどうかということを綴ってきました。

カンタンにまとめると、死や自殺をどのように解釈するのかで救われもするし絶望感に苛まれもするという事です。

健常な人は自殺を考えることはあまりないので死や自殺などというモノには触れないでおこうと考えがちになります。

心や身体に疾患を持っている人には、死や自殺は具体的なものになって来ます。

死を具体的に考えている人と死を抽象的に考えている人とでは、死や自殺、死後に対する解釈は違っていて当然です。

健常な人だって自殺を考え決行するときが来るかもしれないといという事を意識して生きるのは大切な事です。

可能性は誰にだってありますよ!

その時自分はどうするか?

「俺は自殺なんか絶対にしないよっ」て言う人がいるかもしれないけど、不治の病気になって医療を拒み安楽死を望んだところで

それは立派な自殺だ!

と解釈する人だっている。

そうなってくると自殺の是非以前の事で、自殺の定義も人それぞれ違ってきます。

だったら、

人は死んだら灰になるのみ、それ以上でも以下でもない。

という物理的な現象だけを信仰していれば、シンプルで前向きな人生を送ることができる事と思います。

死後の世界を保証してくれる一部の仏教思想に救いを求めてもいいし、死んだら灰になるでも何でもいい。

死とは自殺とは自分自身にとってこういうものだ!

死んだらこうなるのだ!

と、自分勝手に決めつけて生きる事ができれば人生はラクに感じると思います。

死んだっていいじゃん、自殺したって別にいいじゃん…

死んだ後の事なんか知ったこっちゃない。

死んだら灰になるだけなんだし。

それでいいんじゃない?

”死テラシーブログ”

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