自殺でも何でも自信を持って死んでゆけ!仏教と自殺!

おしえ

仏教は自殺者をも救う!

お釈迦様の弟子で病気を苦に自殺をした人がいたそうです。

周囲の弟子たちは自殺をした人はどうなってしまうのか?地獄に行くのか?と問いました。

お釈迦様は、地獄にはいかないよって答えたそうです。

仏教の経典には、お釈迦さまの弟子が自殺した際のエピソードがいくつか記されています。その中でも有名なのが**「教闡陀経」に登場するチャンナ尊者**の話です。

チャンナ尊者は病苦に耐えかね、自ら命を絶つ決断をしました。彼の友人であるサーリプッタマハーチュンダは彼を慰め、生き続けるよう説得しましたが、チャンナ尊者は「非難されるべきことはない」と言い残し、自殺してしまいます。

この報告を受けたお釈迦さまは、「誰かがこの身体を捨てて、他の身体を持とうと執着するならば、それは非難されるべきことだ。しかし、チャンナ尊者はそうではなかった。だから彼は非難されるべきことはない」と述べました。つまり、彼の死は執着から生じたものではなく、涅槃に至るものだったため、地獄に落ちることはないと解釈されています。

by copilot

涅槃(ねはん)とは、仏教における最終的な悟りの境地を指します。

上記の例では、涅槃に達しないと救われないという解釈もできそうです。

では一般人で涅槃いわゆる悟りの境地へ到達する事はできるのか?

それは、出来ると思います。(何の根拠もない私見だよ)

宗教の教えでも何でも、自分自身がそう解釈して、そう思ったらそれが正解だからです。

我々の住んでいる大地とは、大きなカメが像を支えて象の背中に我々が住んでいると信じていてる人がいたらそれが正しいのです。

本人がそう信じているのだから正誤の話では無いのです。

そもそも、仏教の教えと言っても、お釈迦様、ゴータマ・ブッダが直々に書物に教えを書き残してはいません。

口頭で説教を聞いていた弟子たちや宗教学者が解釈を足したり引いたり、地域や時代に沿った解釈をしているので、これが正しい!というものでは無い。

と考えると。

死や自殺を自分勝手に解釈したっていいじゃないか?

という思考になるのです。

悟りの境地に達していると自分がそう思えるのならば、それでいいのだと思います。

例えそれで自殺したとしても、自分自身も残された遺族たちも、彼は仏の世界に行けると考えられるのならば、それはそれでいいではないかと思うのです。

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