生きづらさは稲作伝来のせいだ!                  

歴史

どうして朝鮮・中国人と日本人の性格は違うのか?

では、どうして大陸に残った、朝鮮・中国人の人々と日本列島に入って来た人々(弥生人・渡来人)のメンタル面や共同体意識に違いがあるのか?

そもそも、稲作は大陸(朝鮮・中国方面)からやって来ました。だったら、稲作を行っている人種同志なのだから、似たような思想や共同体意識になるはずではないか?

しかしそこには、日本列島特有の厳しい環境にありました。

注・もちろんですが稲作や日本列島の地形だけに共同体意識の違いの原因がある訳ではありません!

同じ稲作でも熱帯モンスーン地方のいつでも種をまき、いつでも収穫できる稲作とは様相が異なっていた。

引用・日本史の謎は「地形」で解ける  竹村公太郎

先の項でもあったように、日本列島は熱帯モンスーン気候の北限に位置しており、稲作をすることはめちゃくちゃ大変でした。

人手がとーっても必要だったし、とにかく重労働だし、灌漑設備の維持管理、害虫や日照不足、日照り、水害、冷害…

挙げたらキリがない位大変な労力でです。

山岳地形や自然現象に悩まされ続けて神経をもする減らします。

共同体の強い結束が無いと日本列島の稲作は成り立ちません。

集落の皆が精いっぱい努力したからと言って、作物の豊作が約束される確証はありません。

せっかく実った稲が一晩の台風で一瞬に全滅するなんて事は頻繁にあるのです。

こうなると神にお祈りをするしか、人々にできる事は無いのです。

これは日本の神道にもつながる所でもあります。

神頼みでもうまく行かなかったらどこかの誰かのせいにし、適当な犠牲者をつくり出して攻撃し、ムラ社会の結束力を強固にするなんてことはあったかもしれません。(私見)

いわれのない、イジメや村八分なんてことがあった事は容易に想像できます。

自分がそのようになりたくないという思いから、周りの雰囲気を感じ取り、他人のペースに合わせて行動することが一般的になっているのは、理解できることです。

個を犠牲にして全の維持に努めようとする意識は無意識のうちに働きます。

原点はここにありました。

日本人の生きづらさは、弥生時代の稲作が原点なのだと言ってしまってもいいのではないでしょうか?

日本人と自殺と惣村 自殺とイジメは潤滑油?
日本人は忖度とかしきたりとか暗黙の了解とか、何かと自分自身の個性を消して生きる場面が多いように感じます。どうしてなのか?いといろ理由はあろうかと思います。今回は室町時代~鎌倉時代の歴史や風習から日本人の生きずらさを見てみたいと思います。

日本人のいじめやムラ社会の闇部分を書いた過去記事です。

お暇ならどうぞ。

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