生きづらさと自殺、鬱っぽい気持ちの原点とは?
皆さんは生きていて楽しいですか?
生きづらさは感じていますか?
ハッキリ人生が楽しいと言える人はなかなかいないと思いますが、特になんとも思っていないけど、なんだか”窮屈”だな~って感じる人は多いと思います。
窮屈ならまだしも、毎日閉塞感を感じていて生活が苦痛に感じる人も中にはいる事でしょう。
言いたい事が言えない、やりたい事ができない、やりたくない事を無理強いされる…
学校や会社などの共同体の中ではよくある事です。
これはいったいなんなのでしょう?どこから来るのでしょか?
日本人特有の生きづらいとする感覚、閉塞感、忖度や空気を読む文化。
原点はいつなのだろうという事を浅はかな知識で考えてみます。
何でまたこんなことを思いついたのかと申しますと、今回の本に載っていた一文が気になったからです。
いきなり核心に突入します。
日本列島の稲作は個人では立ちゆかず、集団の力で田を作り、水を引き込み、洪水を防ぎ、収穫をする。その営みの中では個人のわがままは許されない。米のため人々は否が応でも協力しなければならなかった。日本列島の稲作は、人々へ強固な共同体の形成を強いた。その強固な稲作共同体は、個人を抑制し、集団最優先に規範を人々に強いたのだ。
引用・日本史の歴史は「地形」で解ける 竹村公太郎
もう、答えが出てしまいました…
しかし、
ちょっと話は変わりますが、昔から何かと日本人は死にたがります。
切腹や特攻、集団自決などなど、日本人ならではの落とし前として、自死を選ぶケースが見受けられます。
自死もそうなのですが精神疾患、鬱なども身近にあります。
自死の前には、生きづらさを感じる事もあったはずです。
令和4年の内閣府の統計によると、経済的な不安や健康不安による生きづらさが占めています。
日本人は生きづらさを感じる由来とは?
それでは…結論です。
日本人が生きづらさや閉塞感を感じる部分は、
日本での稲作は非常に大変だったからなのであります。
なぜなら、強い共同体がないと日本列島では稲作はできないからです。
だから個人の個性は抑え込められて、本音が言い出しづらいのです。
では、どうしてなのか詳しく見て生きましょう。