死にたければ死ねばいい
ここからは、個人的な解釈に入ります、だれも見ない何の役にも立たないブログなので好き勝手に思いを述べたいと思います。
押し付ける意図はありません、
無駄で個人的な独り言です。
生きる意味とは、
はいっ!
意味はありません!
生きている事にもともと意味なんかないのです。
意味を求めるようなものでもないし、答えを出すものでもない。
では、生きている意味がないなら死ねばいいではないかといいますね
はいっ!
死ねばいいと思います!
このような方が本当にいらっしゃいましたら、生きている意味が無いから死んだと言う
意味が出来上がりました。
生きる意味はそこにあったということです。
自殺するために生きたという意味があったので、生きる意味はありましたと言うことになります。(こじ付け感がスゴイけど…)
余談ですが、私は死後、心身共に無になるモノと考えておりますので、死後自分の意思がどうこうになるという思想はありません。
だから、自分の死後がどうのこうのではなくて、残された周囲の人間の方へ気持ちが行ってしまうのです。
生きる意味を無理やり抽出すると、自分が生前も死んだ後も、周囲の人間がどれほど質の高い人生を歩んできたのかその人の生き様を判断するものだと考え、残された周囲の人間がそれぞれ感じるモノだということです。
生きる意味は、周りが判断するもの
だから、自分では生きる意味を感じる事ができないモノだと思っています。
身寄りが無い方もいるかと思います。その方も金融機関や病院、役所に人と接触する機会があると思います。
この方々にも訃報が届くこともあるかと思います。
この周囲の方々が生前の生き方を判断するでしょう。
良い人でした、笑顔が素敵でした、と感想を持ったとしたのならば、この方の人生は意味があったのだということです。
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