まとめます
このブログではしつこいくらい強くいいますが、とにかく
後悔はして欲しくない
そこだけです。
人間はいつかは死ぬ訳です。
そんなカンタンなことは誰だって知っています。
しかし、
そんなカンタンな事をカンタンに受け入れられる人が少ないのが現状なのです。
中高年の人間が病気になりそれを手術をして治すのは全く持って良い事です。
私のようなバカなヤツが口出しできる事ではありません。
しかし、人間は必ず死にます。
その死に時を長~い目線で見た時に
その入院は本当に必要か
その手術は本当に必要か
その薬は本当に必要か
と一瞬考えてもらいたいのです。
入院、手術を非難しているのではありません。中高年でしたらほとんどの方は入院、手術をすることでしょう。
私だって今の歳(2022年時・46歳)なら入院、手術はする事と思います。
目の前の病気にだけに目を奪われてばかりではなくて、その後何十年先の事を想像していただきたいのですね。
突然ですが面白い本と出合いました。
「病気は治らない」を受け入れない限り、「最期を自分らしく生き抜く」ことはできないと思います。
引用 【家で死のう】 著・萬田緑平 医師
病気というのはそもそも治らないので、悪い部分を取り除いたり、感覚を麻痺させたりしているだけのこと、死を先送りにしているだけでなので元通りになった訳ではないそうです。
病気は治らないのならば、その病気と共に生き、できる限りの事を残された人生でやっておくことの方がいい死に方なのではないのでしょうか。
医学は発達しています。
倫理を無視したとして、人間の心臓や肺を100年間動かすだけのことだけなら容易な事でしょう。
しかし、心臓と肺が動いているだけの人間は本当に人間なのでしょうか?
ここでは人間の生の定義はなんだ!などというナンセンスな事は言いません。
医療に生かされることは、本人・親族は望んだことなのでしょうか?
もし、本人・遺族が望んだことならば他人は一切口出しできませんが、今の医療技術なら100年以上心臓を動かし続けることは可能なのではないでしょうか。
それでも、そのような生き方を望んでいるのでしょうか?
ご臨終がいつ訪れるのか、わからない状況を望んでいるのでしょうか?
あの時死んでいれば良かったのにね
私だったらそう思ってしまいます。
実際、私の母親は祖母について
「あの時死んでいれば良かったのにね」
そのような事を言っていました。
人間には死に時があります。
病気になるという事は
もう十分生きたからそろそろ死ぬ準備だぜっ!
と体が訴えているのです。
そのような自然の訴えに耳を傾けて、死を受け入れて考えてみる事は大切な事だと思います。
どのような事でも、
いまその時
というタイミングは必ずあります。
そのタイミングを逃すと、ズルズルと何となくの空気感に引きずられいつの間にか泥沼の中に堕ちるようなことになってしまいます。
中高年の病気は
死を受け入れるチャンス!
と考えて、その病気とどのように付き合ってゆくのか、最期死ぬときはどのような状況が望ましいのかをしっかり分析できるように日頃から考えてみて欲しいと思います。
”死テラシーブログ”


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