皆さまこんにちは、閲覧数・PV数が致死レベルに陥っているブログ
”死テラシーブログ” でございます。
毎度のことながら細々とやってまいります。
さて、今回は
”人間の死に時”
について考えてみようと思います。
注・今回の記事は、中高年限定で話を進めていきます。乳幼児や青年など若い方を対象とはしておりませんのであらかじめご了承お願いします。
実体験に基づいた内容も一部ありますので今後の参考にしていただけたらと思います。
結論から申し上げますと
〇大きめの病気が来たら潔く死ぬのが一番いい
〇死に時を誤ると辛い思いをする
〇病をチャンスと捉える
といったように考えます。
カンタンに説明しますと、突然死の影が押し迫った場面では本人も家族も面食らって冷静な判断ができずに、病院や医者に全てをお任せするといったようなことになる事は大いに想像できます。
きのうまで元気に暮らしていた人が急に”死”という悪魔に取りつかれパニック状態になっているのでしょう。
どうしても受け入れられない、逃げ場が無いという状態ではお医者様に頼るしかありません。
そんな場面では、生きながらえる可能性や方法を考える事の一点張りで、出口を考える事はありません。
出口とは、退院して元気になる事ではなくて、もっと長い目線での出口です。
ここでいう出口とは、
病気にかかった本人が最期に死ぬ場面という事です。
これからお医者様に診てもらって入院して、手術をして、完治して普段どうりに生活できるようにするのに、なんで死ぬ場面を想像する必要があるのか?
ここで言いたい事は
あの時死んでいた方が良かったのにね
と周囲から言われるくらい
長生きはしない方が良い
という事が言いたいのです。
足腰が丈夫で自分でご飯も食べられるご長寿は大変すばらしいのですが、そのようなご老人はごくわずかで、大半は自立した生活ができずに介護を受けて過ごしている事でしょう。
いつまで続くかわからない、自分自身が何者であるかもわからない、そんな状態で生命活動だけが医療によって維持される…
あの時、病気が見つかり、入院、手術をしたが医療によって生き続けて出口(死に時)がわからなくなってしまう、そして家族は疲弊する。
あの時死んでいた方が良かったのにね…
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