死にたくても死ねない 延命治療地獄!
この世の地獄とはたまに聞くワードですよね、この世の地獄とはいろいろある事と思いますが、死にたくても死ねない環境、状態はかなりハイレベルの地獄だと思えます。
その一つとして挙げたいのが
高齢者の延命治療です。
延命治療が地獄というには、高齢者限定では無いと思いますが今回は高齢者として話を進めますね。
そんな延命治療、ヘタをすると強制的にずっと生かされます。
私は専門家ではありませんし、そのような書籍を読んだ訳ではありませんが、100年以上は最新医療技術によって心臓を動かし続けることは可能なのではないかと想像してしまいます。
もちろん患者の体力や基礎疾患などにもよると思いますが、倫理を無視して機械的に心臓や肺を100年以上動かし続けることは現代医療技術では容易なことだと思います。
医者や病院は心臓や肺を動かし続けることに熱心になり、個人の生き様、死様、人生観などはあまり関心がないものだと感じてしまいます。
自分の病、今後の事、数年後の事、数十年後の事を何も考えずに医療に任せっきりにすると、ずっと生かされます。
だって、お医者様は人間を生かす(心臓や肺を動かす)ことが仕事ですので、あたりまえと言えばあたりまえの事なのです。
だから、
自分で死に時を決める事はとても大事な事なのです。
自分の人生、自分の死生観、自分の事です。
なんでそこに医者側、病院側が生きる事を強制するのか、
生きるか死ぬかは自分で決めたらいいではないか。
そんなふうに思ってしまいます。
では、どうやって自分で死を選ぶことができるの?
自殺するの?
そうではなくて病気を治さずに痛みや不安を取り除く、緩和ケア医療というものに注目したいですね。
注・約10%は痛みを取り除くことはできない事象もあるそうです。
重たい病気になったら治療せずに医療には痛みだけを取り除いてもらって、ボケる前に最期を迎える。
支えてくれた周囲の皆様に感謝を伝えて、思い出話をしながら最期を迎える。
死期(ゴール)がわかれば、それまでできる事をしっかりやる事ができます。
そりゃあ死ぬのがわかっていて、何も治療せずに死を迎える事などは親族、家族も100%納得のできることではないと思いますが、そのずっと先を見ていただきたいのですね。
一日でも長く生きて、認知症になって何が何だかわからずに死んでゆく事も受け入れるのならば、思う存分延命治療をしたらいいでしょう。
もちろん人は絶対に認知症になるとは限りませんが、死ぬ直前まで意識がはっきりしていて、自分の事は自分でできる高齢者は極端に少ないものだと思います。
メディアで取り上げられるのは、上記のようなごく一部の高齢者だけです。
今後医療技術が発展して絶対に認知症にならない薬、老化スピードが1/3になる薬が出たとしても、老後の労働や苦悩は無くならないでしょう。
だったら、死ねるとき死んだ方がいいんじゃない?
そんな、提案です。
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