死のデゥーラをDo It Yourself
死のデゥーラは医療行為では無いので、特別な資格は必要ありません。
何かの組織の中で活動するにはレクチャーを受けたり、研修を受ける事もあるとは思いますが、基本的には誰にでもできるのです。
そうです、あなたにも私にも今すぐにできるのです。
これは、死のデゥーラとは違いますが、看取りの在り方はなんでもいいという一つのボランティアの例に関心したことがありましたので共有したいと思います。
カナダのホスピス病棟での出来事です。
老人が死を待つホスピスのベッドのとなりで身内でもない一人の男が本を読んでいる。このボランティアの男は読み聞かせるのではなく、じっと本を読んでいる。このボランティアの男は死んでゆく老婦人のそばに定期的に来て一緒の時間を共有しているのであり心の支えになっている。「どうですか」「不安ですか」など問いかけたりもしない。ボランティアというのは何か積極的にしなければならないと思いがちですが、そこにいること自体が心の支えになるものなのだと改めて実感させられた。 引用・生き方哲学 著・日野原重明
このように、そばにいるだけでいいのならば誰にでもできます。
何か特別な能力や資格などなくても、ただただ誰かのそばにいるだけで気持ちを楽にさせてあげる事ができるという事もあるのです。
ベットの近くに名前も知らない他人がいる事自体が嫌だという患者さんがいる事も理解していますよ。
このボランティアの方は、何かをしてあげようとか、ものでは無い感謝の言葉や何かの見返りを求める事は無いでしょう。
もちろん今後近いうちにその患者さんに死が待ち受けている事がとても悲しくてやりきれないという感情も特に必要はないでしょう。
老年になって死んでゆくことは
当たり前の事だという事を知っているはずだから
患者さんの意識があろうとなかろうとそのボランティアさんにはあまり関係がない事のように思います。
もっと生きるんだよっ!
がんばって!
安心して逝ってくださいね!
そのような言葉は必要ありません。
最期のその時がくるまで、ベットのそばで座って本を読んでいる
ただそれだけでいいのです…
この活動行為が死のデゥーラと言えるのかどうかはわかりませんが、私はカナダのこのような方の活動が日本にも広がったらいいのになと思います。
偉くなくても、頭が良くなくても、資格が無くても、
誰にでもできるからです。
私もこのブログもこの方のようになりたいです。
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