みなさんこんにちは、カッコ悪い悪路をひたすら歩んでいるブログ
”死テラシーブログ”
でございます。
今回は、かっこいい死に方、カッコ悪い死に方と題して、自分はどっち側に振れるのか?
どっち側に行きたいのかという事を考えます。
突然ですが、あなたは今かっこいいですか?
今の自分がかっこよくないと感じる人は、かっこいい死に方はできないでしょう。
そもそもかっこいい死に方をすれば全て良しとする事ではありませんよ。
犬死でも目的があればかっこいい死に方にもなり得るのです。
当然ですが、かっこいい死に方なのかカッコ悪い死に方なのか決めるのは周囲の人間です。
死んだ後の事は自分ではどうだったのかわからないですよね、そもそも自分がかっこいいかカッコ悪いかどうかの判断は生きている時にでも他人が決める事です。
だから生きているうちにかっこいい死に方って自分にとって何なんだろう?かっこいい死に方って周囲の人間からしてみたらどのような事なのだろう?と考えてみる事と、今後の生き方に参考となる部分を考えてみる事の提案です。
結論です。
かっこいい人はかっこいい生き方をしている
かっこいい人は何をしてもカッコよく見える
だから、かっこいい人は死に方だって
かっこいい
という事になります。
しかし疑問が残ります。
そもそも、カッコイイの判断基準は人それぞれなのです。
だからせめて自分は自分の事をカッコイイと思える人間になろうよ!
そして死ぬその時までその気持ちを維持ましょう。
という事になります。
消費者目線で見れば、好きな人や好きな物はカッコよく映るります。
流行りのイケメンタレントさんがプライベートでノーブランドのジャケットを羽織っていればカッコよく映り、そのジャケットの売り上げは伸びる事になりますね。
ジャケットの売り上げが伸びた理由は、ノーブランドのジャケット自体がカッコ良かったからではありません。
では、かっこいいっていったい何なのでしょう?
上記の理屈で行けば、かっこいい人とされている人が死んだときは、かっこいい死に方だな~なんて声は聞こえるでしょうが、そのカッコよさはどこから来るのか?
次の項では、かっこいい事をもう少し掘り下げてみたいと思います。