みなさんこんにちは、何の役にもたたない、バカの上塗りブログ
“死テラシーブログ”
でございます。
今回は自然淘汰、食物連鎖、そしてなぜ人間は戦争や自殺をするのか?コロナウイルスなどの疫病は人間にとってどのような意味があるのか?
そのような事を、グダグダ述べてみたいと思います。
注意…
子供の頃学校で習った食物連鎖、植物→昆虫→小動物→草食動物→肉食動物→人間
頂点にいるのは人間、人間を喰う生物は今のところいません。
人間の数を直接的に減らす事といえば、戦争、疫病、自殺、自然災害、事件事故くらいのものでしょう。
疫病や自然災害などは自然のモノですが、戦争や自殺は人間の行動思考によって引きおこされます。
要するに人工的な行動です。
では、どうしてわざわざ戦争や自殺は起こるのでしょうか?
遺伝子的に争い攻撃するようなプログラムがなされているのでしょうか?
余談ですが、利己的遺伝子の本を読んでいると、遺伝情報による攻撃プログラムは個や種を守るために必要なモノなのだそうです。 余談終わり…
世界には素晴らしい宗教という教えがあるにも関わらず、人間は人間を殺します。
宗教がきっかけで戦争状態になるような本末転倒な事になっている場合もあります。
では、自殺はどうでしょう?
個人個人悩みはひとそれぞれあります。根本的な理由は人間と社会が絡んでいることもあります。
似たような環境にいながら、似たような苦難を経験したのにも関わらず、一方では自殺してしまい、一方では生きているという事は自然淘汰と言って良いのではないかと考えてしまいます。
自然淘汰を辞書で調べたよ
生物は自然の状況、環境に適したもののみが残り、そうでないものは滅びるということ。
引用・コトバンク
生きるか死ぬかのラインは、その個人の生まれ育った環境や現在の生活環境にもよるところはあるでしょう。
冷めた言い方をすると、大きな取り巻きの部分も、産まれ持っての幸運や不幸全て踏まえて、脱落してゆくモノが自然淘汰されるという事になってしまいます。
自殺の興味深いところは、豊かな生活環境でも訪れるところでもあります。どんなにお金持ちの人でも、成功者でも、ほんの少しの不安が増幅して自殺してしまう事もあるでしょう。
こうなってくると
どうして人は自ら死を選ぶのだろう?
どうして戦争をしたがるのだろう?
結論! というか持論!
生物の頂点にいるであろう人間は
自分達で
自分達の数を
調整しているのではないか?
今回は、そんな視点でもんもん妄想しながら綴っていきたいと思います。
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