ボケとオムツは断固拒否! 病は大歓迎!
この章では自身の体験談が少し交ります。
全項のように、生物はその種を護るために自分の遺伝情報に傷をつけて多様性のある遺伝情報を子供たちに継がせるというようなことを綴ってきましたが、実際病気になったらどのように感じるのかを紹介したいと思います。
自身の話になります。
軽い肺の病気になり、抗生物質が無いとあっという間に肺炎になってしまうのです。
少し前は薬を飲めばすぐに良くなったのですが、最近は一か月位薬を飲まないと状態は良くならなくなってきました。
医者から言わせると、治ることはなくて一生薬を飲む事になると言われるがショックは特になく、むしろ、やったぁ!病気だぁ!と少し喜ぶ。(理由は後述)
趣味でやっているランニング中に咳をした時の痰が真っ赤に染まっていたことがあり、その日はずっと血の痰を吐いていました。
きっと普通の人ならビックリしてしまうのでしょうが自分は違いました。
肺の病気だし歳だしまあそんなもんだろう!
どうしてこのように思うのか?
理由があります。
普段から死生観のブログを書いているので死に関する事をずっと考えています。
だから自分の死について一般の方よりも深く考えて結論が固まりつつあるのが一つの理由。
あと、決定的な理由として、
ボケる前に死にたいッ!
これが一番でした。
病気になったら過度な治療はせずに痛みを取り除いてもらって家族に別れを告げてにっこり死にたいという願望があります。
ボケてオムツして死ぬのは絶対に嫌だと思っているので、治らない病気になったと知った時に
ヨッシャー!って心の中で思いました。 変人ですいませんね(;’∀’)
しかし、今までの人生を全うした自信の現れでもあります。
この感情は若い頃からずっと抱いていたもので、歳をとってからの話ではありません。
せっかく病気になったのだから、死ぬまでの時間を有効に使おうなんて気持ちは悪い事では無いと思います。
ガンなどの重たい病気になる前に予行練習として軽めの病気で慣れておけば、いざガンだと言われたときのショックは多少なりとも和らげてくれると思います。
ガンになったとしても、ラッキー!だなんて思うのが目に浮かびますが…
歳をとって病気になって過度な延命治療をしなければ、ボケてオムツして死んでゆく可能性はグッと低くなります。
死ねそうな時に死ぬという心の準備は急にはできませんから、普段から死ぬというこころの準備をしておくことは必要です。