極限状態でいかに死ぬか? 我が子の首を二度絞め殺す話

歴史

まとめ・諦めないで死んでゆく! 

絶体絶命!!

どうせ死ぬのだから知恵を絞って考えたって無駄です!

そうですよ!考えたって無駄!

だったら何も考えずに、運命の流れに任せて、死なない事に集中すればいいのです。

早々に諦めて、自ら死ぬのは良い選択ではない場合もあります!

だって、生き残っている人が実際にいますし、葛根廟事件でも福田村事件でも、生き延びて証言している人がいるという事実があります。

生き残る方がよっぽど地獄じゃないかっ!という意見もありますが、自ら死を選ぶというよりも、自動的に死が訪れる方がより自然のような気もします。

葛根廟事件では主に女性や子供の犠牲者が多かったそうです。もともと男は戦地へ赴いている事と、ソ連兵に強姦されて殺されるくらいなら、自ら子供と一緒に命を絶つと決めた事にも一因があるとも言われています。

私は男なので、強姦されるというイメージはあまり湧きませんので、女性の方が強姦されるくらいなら死を選択することは十分に考えられる事は想像できます。

強姦されて生き延びたとしても、その後の人生を考えると地獄のような生活になることも想像します。

尊厳を守る為にも自害することは理解できます。

前項でご紹介した母親がわが子の首を二度も絞めて殺してしまう。このような判断は間違っているとは言いませんし、そのような事はカンタンには言えませんが、死ぬ事を拒み続ける自分の子供の首を二度も絞めて殺してしまう…そんな悲しい出来事があっていいのでしょうか?

憎むべきは戦争なのですが、現地にいる個人ではどうにもなりません。

飢えや大きな怪我を負っていても、最期の瞬間は穏やかに迎える場合があるかもしれないと信じてもいいでしょう。

例えば、餓死などというものは皆が想像しているような苦しくて辛い事でもないようなのです。

参考までに過去記事です。

餓死で死ぬという提案! 飢え死にのすゝめ
死にたいなんて思う事ありますか?本気で死にたいと思ったらその方法を考えますよね?”餓死”なんでいかかですか?絶対に無理だと考えるのは普通でしょう。しかし栄養を摂らずにいると、きっと何かが見えてくるのではないか、なんてことを考えてみました。

 

葛根廟事件の少女は出血性ショックでも、母親の胸の中で最期を迎える事が出来たかもしれません。  あくまでも結果論なのですが…

母親に首を絞められる思い、子供の首を絞めつける思い…想像もできません。

だから、早々に自ら命を絶たないで最期まで望みを捨てずに死んでゆくことに集中できたらこのような悲しい出来事にはならないような気もします。 あくまでも結果論なのですが…

望みを捨てずに死ぬ覚悟!

そこがポイントです。

地震や豪雨による災害や戦争での空襲、火災、砲撃、飢え、略奪、殺人…

圧倒的な死の圧力からは逃れられません、ほとんどの方が死ぬ事でしょう。

だから、早めの決断をして、自ら死のうではなくて、

最期まで諦めないでなにがなんでも生き延びよう!でもなくて、

諦めないで、死んでいこう

どのような結果になっても、運命に任せよう、心に大きな傷を負い生き延びたとして、生きるのがどうしても辛かったのならば、

自殺すればいいのだから…

これくらいの気持ちでもいいと思うのです。

人間には、死の間際にはエンドルフィンやオキシトシン、アドレナリンといったような脳内の物質が分泌されて、穏やかに死んでゆくこともあるそうです。

俗に言う幸せ物質というもの。

餓死だろうが、出血性ショックだろうが、伝染病だろうが、

自然に身を任せて、運命に身を任せていればいいのです。

どうせ死ぬのだから、死を受け容れてしまおう、もしかしたら偶然の積み重ねで生き延びる事もあるかもしれないし、そのまま死んでしまうかもしれないし…

そう思うことができるのならば、自ら死を選んだり自分の子供に手をかける事も無くなるかもしれないのだと思います。

どうせ死ぬのだから、最期まで信じてみよう。

とすれば、納得のできる最期が迎えられると考えます。

自分の子供の首を二回も締め付けた母親の気持ちと、お母さんに首を絞められる気持ちは誰にもわかりません。

このような事は絶対にあってなならない事だと思います。悲しすぎますよね…

良いとか悪いとかではないのですが、極限状態での死に方をシミュレーションしてみる事は、あってもいいと思います。

”死テラシーブログ”

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