殺してくれるお医者様を探して護る! 

病気

まとめ・お医者様を護る 

注・ここで出てくる安楽死は延命装置を停める、薬を止める、治療を止めるといったような要素で進みます。致死薬を投与するといったような積極的安楽死というニュアンスは一切含まれませんのでご了承ください。

安楽死の種類や尊厳死との違い、緩和ケアやそれらの法律や倫理の問題点を挙げたら全くキリが無いので、ここではそこには触れません、ここでいちばん言いたい事は

死を促す医療行為はお医者様にしかできない!

だから、最期をどのように迎えたいのか自分の意思を確立して、意見の合う病院やお医者様を探そう。

という事が言いたいのですね。

痛みを取り除いて欲しいと訴えても実際投薬をするのはお医者様。

副作用のキツイ薬を止めようかと判断するのもお医者様。

その結果その人が死んでしまった、判断は正しかったのか?本人は幸せだったのか?どうかはわからないという葛藤の一部分を引き受ける、お医者様。

医者はロボットではありませんから、もちろん感情があります。

たとえ日本に積極的安楽死ができるようになったとしても、医療者側の心情を事を気にする人はあまり少ないのではないでしょうか?

痛みを取り除いてもらって、安らかに死ぬ事が出来たらそれでいいのだ、

致死量の薬を渡してくれたらそれでいいのだ、

自分さえ良ければいいのか?

自分は高齢になって手の施しようがなくなって、痛みを取り除いて死んで行くにあたって医者は注射だけ打ってくれたらいいのだよ、他の事等は考えなくてもいいのだよ…

早く殺してくれればいいのだよ…

それではあまりにも自分勝手だと思います。

そのお医者様には次の患者さんがいらっしゃいます。

次の患者さんに気持ちよく治療を受けてもらえるように、また安らかに旅立って行ってもらうためには、今の自分がお医者様に負担をかけないように努めることが大切です。

お医者様には良い気持ちで仕事をしてもらうためには、自分自身の死生観をしっかり持って、全ての人へ感謝をすることにつきます。

気丈にふるまえと言っている訳ではありません。

ただたんに、素直になればいいのだと思います。どうせ間もなく死ぬのですから。

それは自分自身の気持ちが晴れやかになるという利点もあります。

痛みや後悔、不安を言ってばかりでは、最期の判断を下し、実行するお医者様のメンタルの負担が増すばかりです。

それは誰だってそうでしょう、後悔や不安感が大好きだという人に出会ったことがありません。

医師が特別な事は無いはずです、誰だって嫌です。

安楽死に特化した内容になりますが、本に書いてあった一文をご紹介します。

安楽死は本人だけのものではなく、手を下す医師、見守る家族、世話をする看護師などの共同作業なのです。安楽死を実行する医師の気持ちを、著者は繰り返し書いています。~中略~医師が安楽死をさせるときそれは本人のためであるとわかっていながらも、人の命を終わらせるという複雑かつ重い心情は、どうすることもできません。~中略~ほとんどの人が安楽死をする側の視点でしか考えていません。させる側の視点が抜けているのです。                                       引用 「日本人の死に時」  著・久坂部洋  医師・作家

久坂部さんによると、安楽死は本人、家族、医師による共同作業という事です。

本人が安楽死を決行出来たらそこでお終いだが医師には次の仕事がある、医師に負担をかけて葛藤を残しては、なんの得も無いと思います。

医師には気持ちよく誇りを持って仕事について欲しい、そうすることによって次の患者が良い医療を受けたり、良い看取りができる事でしょう。

医療は患者個人だけのものでは無くみんなのものであり、医師本人の人生の為のものでもあります。

本を読んでいると様々な考え方をする先生方がいらっしゃいます、この先生方にアクセスをして自分自身の死生観と同じようであれば、その先生を信頼することができます。

末期になって思考や行動が困難になっては病院を変えたりするのが面倒だったり物理的にムリだったりしますので、身体が動くうちに先生探しをするのがいいと思います。

最期の最後自分を殺してくれる医師を、元気なうちに今からでも探しておくことが安心した最期を迎える時に重宝すると思います。

殺してくれるなんて言ったら怒られそうなので、大きな声では言えませんが…

とにかく状況が悪くなってからでは遅いのですね、家族と医者との関係性を築くことはいい死に方ができる可能性は高まりますし、人間同士のコミュニケーションとして最低限必要なことでしょう。

次の患者の事を思い浮かべながら治療の在り方、最期の在り方を考える余裕は元気なうちに、あるいはまだまだ病が浅いうちにしっかり三者で医師の疎通をした方が良いでしょう。

医師は忙しいようなので、初めの一歩として自分自身と家族はゆっくり家族会議をすることがいいのです。

意識が無かろうと、痛みがあろうと何が何でも生きたいのか、QOLを重視して最期まで自分の尊厳を保ちたいのか、医療行為で手助けしてしてくれる人は、お医者様だけです。

最終的に死を迎えるのは自分独りですが、そこへ到達するまでは周囲の協力が不可欠です。

死は自分だけのものではなくて、家族知人、病院スタッフ医師のモノでもあります。

死ぬのは自分なのだからと、自分勝手な振る舞いをしていては、良い死に方はできないと思います。

殺してくれる優しいお医者様を大切にしたいと思う気持ちも素敵なものだと思います。

しつこいようですが、医師は人を殺しはしません…

優しく殺してくれる医療者と出逢いたいものです。

”死テラシーブログ”

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