実体験2例ご紹介
一つ目は、自身の父親の話です。
61歳で前立腺がんが見つかり、当然病院にお世話になる事になりました。
がん自体はそれほど悪い状態では無かったので通院と服薬で経過観察という事になりました。
その薬が本人に合っていたのでしょう、そのまま15年ほど経ちまして76歳になったところで軽い認知症と肉体労働による膝の負担が重なり歩行困難状態になりまして、要介護2の認定を受けて介護が始まりました。
いつか介護をする事は何となく頭ではわかっていましたが、それは突然にやってきました。
本人は自由に動くことができなくなると、何かをする気力も無くなるみたいで、まるで別人のようになってしまいました。
もともと父親は休日となれば、家でゴロゴロすることは一切なく、何かしらちょこちょこと動き回っていた人でしたが、突然何もやらなくなりました。
夫婦仲は悪い方では無かった両親でしたが、お互いイライラ感が日常的にあり、不信感も日常的になってきている様子です。
痴呆はどんどん加速していって何もかもわからなくなるのも時間の問題でしょう、となると
あの時死んでいたら良かったのにね
という事が頭をよぎります。
あの時死んでいたら、ボケることも無くちゃんとしたお別れができたかもしれないと…
二つ目は自身の祖母の話です。
私自身子供の頃だったのと、私は外孫で祖母とは一緒に暮らしてはいなかったので具体的な病名や年齢はわからないのでご了承ください。
お互いの家は遠距離なのですぐに会える環境ではありませんでした。
祖母は何かの病気にかかり、食べ物を自分では食べられなくなるかもしれないから、手術をしないと死んでしまいます。という内容の事をお医者から言われたそうです。
叔父さんは、もう一度母さんにご飯を食べさせてあげたいという願いで、手術をすることにしました。
昔の農村市域は貧しかったので、「死ぬまでに白いご飯をもう一度」という願いがあったことでしょう。
手術は成功して、術後も順調に回復して、元気に畑仕事や庭いじりなどしていたそうですが、やはり認知症が出てきて、家族の事はわからなくなってきたそうです。
その手術から20年ほど経ちますが、90歳後半になろう現在(2023年)も存命です、親族には祖母の現状を知って欲しくないかのように、祖母についての連絡はほとんど無いそうです。
そもそも連絡自体無いようです。
仲が険悪になったという事ではありません。自然に疎遠になったという感じです。
祖母を看ていた叔父さん叔母さんも病気が見つかり、介護している側が死に近づいてきているのです。
最悪介護している側が先に死んでしまう事もあるでしょう。
実際私の親族にも、介護をする側の子供が先に死ぬような事例がありました。
こうなってくると
あの時死んでいたら良かったのに
ってなりませんか?
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