どうもこんにちは、
”死テラシーブログ”でございます。
このブログもいよいよ閲覧数がゼロになってきたので、未来の自分に向けて綴ってまいります。
今回のテーマは、
親の終末期に延命措置をするのか、しないかを判断する家族の葛藤を考えます。
延命措置をしないと、当然そのまま死んでしまいます。
こちらを選んだ場合自分が親の息の根を停めたという葛藤が芽生える事は容易に想像できます。
カンタンに悪い言葉で言えば、殺したことになると言っても過言では無いでしょう、だから思い悩むのも当然ですね。責任を一旦回避するといったような心情もあるのかもしれません。
ついさっき自分の父親77歳を自宅で看取った体験を交えていきたいと思います。
いや~でもさ~いつか死ぬよ、人ってさ~その時どうすんの?
今の危機を先伸ばししたら、その先葛藤は少なくなるの?
その時の状況を想像した時に延命措置をした結果後悔することになったら、本末転倒だよね。あの時延命治療なんてしなければよかったなんて、本末転倒だよね。
だったらどうしたらいいのか?
結論、
後悔や葛藤が少なくなるように常日頃からしっかり生活する事です!
終末期に親を生かすのか殺すのか判断することに葛藤を感じるくらいなら、初めから悔いの無いように接しとけやっ!
という事です。
親孝行をしたいときには親はいないというようなことわざがあったり、
後悔先に立たず、覆水盆に返らず…
最期の最後で延命措置を止めるか行うか思い悩むなんてことはハッキリ言って自業自得だと考えます。
即断できない時点で延命方向に向かっていきます。
いままで生きてきた中で親との関係がどこか後ろめたい気持ちがあるから、最期の最後で往生まで背中を押してあげる事に躊躇するのだと思います。
やり残したことがあったり、伝えたい事があったり、死を正面から受け止められなかったりします。
カンタンな事です。
常日頃から親や家族の最期をイメージして、
後悔のないように親との時間を大切にしたらいいだけのハナシなのです。