みなさんこんにちは
アクセス無しなので、恐れるモノは何もない最強のブログ
”死テラシーブログ”
でございます。
怖いものが全くないので驀進してまいります。
手前勝手で一方的な内容になりますので、つまらなくなった時点で退出していただけたらと思います。
今回は、
老いや病、死を恐れずに生きる方法をバカなりに伝授したいと思います。
そもそもどうして死ぬのが恐いのか?
不安や痛み別れなどが挙げられるのでしょうが、ここでは生物学的な視点で見て生きたいと思います。
ほとんどの人は老いたくない、死にたくないと思うのでしょうが、よ~く考えてみてください。
もし、不老不死が実現可能だとして、不老不死って本当に手に入れたいですか?
どうです?
ここでは、不老不死の細かな定義はしませんし、現実には不老不死なんてものは研究対象でしかありません。
一般人が気軽に選択できる代物でもありません。
リアルに考えてみたら不老不死を必要とする人って限られた優秀な人だけのような気がします。
不老不死とまではいかないにしても、シワとかシミとか体力とか若さに未練を残す人は多いと思います。
それは過去と比べるからです。
若い頃は…って言いだすともうそっち側です。
不老不死を望む側です。
いつまでも若いつもりでいても実際身体は劣化していきます。
自分が老いている事に気が付かないで、周りが変化していると錯覚を起こしている事はよくあります。
”アイツ老けたな~” がソレです。
自分も十分に老け込んでいる事に気付いていないのです。
昔と比べて簡単にできた事ができなくなることや、倦怠感や痛みを感じる機会が増える事に嫌悪感抱く事はどんどん増えてきます。
歳をとらないようにしなくてはいけない、健康を維持しなくてはいけない、一日でも永く生きなくてはいけない…
長生きしてね…
○○しなくてはいけないという生き方はとても生きづらいものです。
男はこうあるべき…女の子なんだから…管理者とはこういうものだ…日本人はみなこうだ…
生きづらいもんです。
毎日が退屈だなぁ~と感じる人は多いはずですし、朝起きて会社や学校行きたくねえな~と感じる人はもっと多いはずです。
そうです。
人生はもともと生きづらく、退屈なものなのです。
仏教でも世の中は
一切皆苦(いっさいかいく)
と言って思いどおりにならない事だらけなのだと説いています。
だったら生と真逆に位置する、死にスポットを当ててみたらいいではないか。
強く生きるというベクトルを強く死ぬという、死へ向かって同じ力量で考えてみます。
要するに、生きるのが辛いのならば、死を楽しみに生きれば、生きる事は多少楽に感じるはずです。
死というものを、一日の疲れを取り除く湯船のように、布団やベッドのように考えてみようじゃないか、今日も一日お疲れさまでした。
死もお疲れさまでしたでいいと思います。
死を恐くなくなる方法として、
結論
死がコワいのならば、まずは死を知ることが大切!
死とは一体何なんだと自分で研究してみる。
死を自分なりに解釈したうえで残りの時間をどのよう過ごし、どのように死んでゆくのかというイメージをする事。
あんな死に方は絶対に嫌だ!
そうならないために自分はどうしたらいいのかを考える事が第一歩。
生物は種を護り繁殖機会を増やすために個を犠牲にする場合もある、死というのは種を護り多様な環境に適した遺伝情報を後輩へバトンタッチするためのモノである。
だから生が消滅する死とは恐れるものでは無くバトンタッチの儀式なのだ!